第一章. 気功について

盛鶴延

気功とは

気功とは何でしょうか。

気功とは人と宇宙エネルギーの関係を強くする方法です。

粒子と波動の関係、宇宙エネルギーの関係など、宇宙の中には決まっている原則があります。それを用いて人と宇宙エネルギーの関係を強くする方法、それが気功です。

身体の中の気をどのように強くして、どうすれば宇宙エネルギーとつながることができるのか、どうすれば身体の中に気を溜めておくことができるのか、どうすれば自分の気をコントロールすることができるようになるのか、どうすれば他人の気もわかるようになるのか、など気功を続けると、だんだんわかってきます。

 

気功の〝気〟はエネルギーのことです。

気功の〝功〟は特別な能力のことです。

 〝気〟は身体の内側に感じられる〝内気〟と、身体の外側に感じられる〝外気〟を合わせたものです。

外気とは宇宙、自然界に存在するエネルギーです。外気を身体に取り入れ、内気に変えて、内気をもっと強くする。身体の内側に気をたくさん溜め、更に密度を高めると、気の質が変わり、〝功〟が発現してくる。すなわち〝功〟に成るのです。それが気功です。

皆さんが言う気功という言葉には〝気〟と〝功〟が混在しています。

〝気〟を感じること、それは気功の初級段階です。また、両手を温かいお湯の中に浸した後、顔の近くに持っていくと温かいものを感じます。それはもう気を感じているということです。でもこれは気功とは関係ありません。

気功とは、〝気〟から〝功〟に成るということです。だから難しいのです。

多くの初心者は中途半端になりがちです。一回、二回、あるいは一年、二年ぐらい気功を試してみてやめる方が九割ぐらいです。

この気功の〝功〟を表す日本語があります。〝成功〟です。成功とは、〝功〟に成るということです。仕事でも、スポーツでも、気功でも、やり続けると、ある時突然〝功〟が出てきます。それが〝功〟に成った、成功ということです。

私は気功という言葉は簡単すぎると感じています。昔は難しい〝氣〟〝炁〟などの文字を使っていました。いずれも本質は同じで、宇宙エネルギー、宇宙の中の姿かたちのないモノを指しています。

気功は、道教、密教、仏教、中国武術、中医学などの秘伝とされた知識を集約したもので、かつては一般の方には教えないものでした。

中国において、現在のように気功という言葉が一般でも使われ始めたのは最近のことです。一九五〇年代の半ばに気功療養院が唐山、そして北戴河に作られ、中国の高級幹部が気功で健康になったことから気功ブームが起こり、一般の方にまで広がりました。

現代において、気功に対するイメージには、プラスのものとマイナスのものがあります。マイナスのイメージとしては、気功なんてただの自己暗示、インチキではないかというものです。確かに現代における気功の評判は良くないかもしれません。ある意味、気功の世界はレベルが高すぎるのです。でも気功の評判が良くなるのはこれからです。

今、世の中はお金の話ばかりです。お金よりレベルの高い考え方をする方が少なくなっています。私はそれに対し、残念だなぁという思いはあります。いくらお金があっても、誰でも百五十歳までには死にます。ならば、生きる目的のない人生は寂しいではないですか。やはり人間は、〝自分は何者?〟 〝どこからやってきたの?〟〝将来どこへいくの?〟〝何のために生きていくの?〟〝自分の使命は何?〟 そういうことを、しっかり深く考えることが必要だと思います。

 

修行の三つの段階

気功の修行には次の三つの段階があります。

 

  「初級」 

  自分で自分の気を感じることができる段階。

  「中級」

  自分で気をコントロールできる段階。

  身体の内面に気が動くのを感じることができる、温かいものが動いていることが感じられる段階。

  「上級」

  自分の気も、他人の気もコントロールすることができる段階。

  他人の気をコントロールすることができる、ということは、治療も含めてできるようになる、遠隔治療などもできるようになる段階です。

生きている人の身体からは気が出ています。気が出ていない人は死んでいます。

気の強さは、一人一人違います。患者さんの治療をする場合は、修行しないと治療能力を身につけることができません。ただ、世の中には特別な修行をしなくても、治療能力を持っている方もいます。いわゆる超能力を持っている方々です。しかし、私たちはそういう先天的な能力者ではありませんから、もし特別な気功の技術、治療能力が欲しいのであれば、特別な修行をする必要があります。

 

気功と道教

日本は仏教と儒教の影響が強い国だと思います。一方、中国は道教の影響が強い国です。道教は〝陰陽〟〝道〟の世界です。

道教では、自分自身を大切にします。もちろん他人を愛すること、親、子、兄弟孝行も大切にしますが、自分自身を大切にすれば、それだけでもう、親孝行と考えます。

それだけで親孝行になるとは、ちょっと狡いのではないか、と思うかもしれません。でも理屈はあります。

自分の命は両親、その両親と先祖からずーっと何千年もかかって、今まで伝わってきた命です。だから両親、先祖代々の財産である自分自身を大切にすることは、それだけで親孝行なのです。

これが道教の考え方です。儒教、仏教、キリスト教と比べると大きな違いがありますね。

気功は基本的に道教の影響を強く受けています。気功も自分自身を大切にします。

一般的に気功では〝道教〟とは言わず、〝道家〟と言います。〝あなたのカンフー、道家っぽいな〟、〝あなたの気功、道家っぽいな〟と言います。〝教〟というと幅が狭くなるからです。

  

気功革命〝五つの入り口〟

中国には約三千種類の気功法の流派があるといわれていますが、約三千種類の流派があっても、気功の原理は原則的には同じです。

まず、気功は〝動作〟〝呼吸〟〝意識〟の三つのことを同時に行います。

人間は、いつもこの三つを行いながら生きています。

多くの方は、何かを考えながら、何か動作をし、呼吸を無意識にしています。

気功では、この三つを気功の考えに沿って統一して行うことで、高い効果を生みだします。もちろん、スポーツでも太極拳でも達人レベルの方は、〝動作〟〝呼吸〟〝意識〟を統一することを考えています。しかし、気功は最初からこの三つを統一して行っていくので、効果が早く出やすいのです。

また、気功の流派によって、三つ、四つ、あるいは五つ、気功の道に入りやすい〝入り口〟があります。

気功には効果の出やすい方法もあれば、効果の出にくい方法もあります。初心者のレベルの方が上級者のレベルの方法を行っても、実際効果が出ないのです。

そこで既刊の「気功革命」シリーズでは、流派を超えて、初心者でも高い効果が出る五つの入り口を紹介しました。それが〝手〟、〝動功〟、〝站功〟、〝自発動功〟、〝静功(瞑想法)〟です。

これら五つの入り口に順番はありませんが、これらは全ての気功の道に入りやすいのです。気功の入り口はとても大切です。

 

気功の奥義とは

本書では、この五つの入り口に加え、神筆功、樹林気功、房中術、望気術(オーラ診断)など幅広い気功法をお伝えします。

そして、今まで全てを明らかにはしてこなかったその秘伝奥義をお伝えします。

私は中国の上海市で生まれ、十二歳の時から本格的に気功を学び始めました。

その後、医学専門学校を卒業し西洋医学の精神科の医師として十六年間勤めた後、WHO衛生教育医学新聞社にて『上海大衆衛生報』の編集委員・記者になりました。

ちょうどその頃、それまで中国でも極秘とされていた気功が表に出てきて、その効果が脚光を浴びていた時期でした。記者をしていた私は、幸運にも中国の何千年も続く様々な流派の先生から、直接多くのことを学ぶことができました。たくさんの本物の先生に気功を習い、自分でも修練するうちに、流派は違ってもその内には共通するものがあることに気づきました。それが気功の奥義の部分です。

気功の奥義は、流派の秘伝とされるもので、長く一つの流派を学ばないと習得できません。

しかし一つの流派に入ると、少なくとも三年から五年は修行にかかります。しかも、その流派の奥義を理解するとなると、更に時間がかかります。それゆえ昔の修行は時間がかかったのです。

しかし気功はこの奥義を理解しなければ、いくら練習しても意味がありません。

特に〝角度〟〝螺旋〟〝波動〟の三つは気功の基礎であり、極めて重要なものです。

ここに大切な気功の奥義があります。

例えば、三円式站功(一〇二頁)を教室で練習している時、気を感じることができない初心者の方の姿勢を、私がちょっと直して差し上げると、気を感じるようになります。でもその方が家に帰ると、もう感じなくなります。どうして? ということです。

三円式站功では、両手と下丹田を結ぶ角度が重要なのです。

また、小周天呼吸法(一三七頁)の練習の時、背中に気を昇らせることは難しいと思います。それは、気を昇らせるための奥義を知らないからです。多くの方は、気を直線状に昇らせようとしています。でも本当は、気を螺旋状に回転させながら昇らせるのです。

また人間、動物、物など目に見えるものだけでなく、感情、意識など目に見えないモノも含めて全てには、固有の振動数があり、それが波動となって伝搬しています。

例えば、六訣法(一六七頁)では、六種の臓腑の波動と関係がある六種の特定の音を発声し、対応する臓器を共鳴させ、振動させます。

 

気功の奥義を理解すれば、たとえ数種類の気功を学ぶだけでも、全体的なことがわかってきます。ぜひ自分で試してみて、自分でその効果を実感し、自分のものとしてください。